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マランツとB&Wの26年にわたる
​リレーションシップを振り返る(前編)

 


D&M Holdingsシニアサウンドマネージャー 澤田龍一


マランツが世界的なスピーカーメーカーB&Wの日本における販売代理店となったのは1993年。
以来26年に亘ってマランツとB&Wは緊密なリレーションシップを築いてきました。
今回は提携当時の様子を知るD&M Holdingsシニアサウンドマネージャーの澤田龍一が
B&Wとの提携のいきさつや、その背景などを語ります。


 

B&Wとマランツとの関係は、ヨーロッパからはじまった

 

●今回のマランツブログではB&Wとの関係についてお話をうかがいます。まずB&Wと提携するきっかけについて教えてください。

澤田: まず基礎的なことからお話しますと、B&Wは1966年にジョン・バウワーズさんとロイ・ウィルキンスさんの2人でスタートさせた会社で、B&Wは Bowers & Wilkins、つまりその2人の名前からとられています。二人は第二次世界大戦の戦友で、最初は電気製品のショップを立ち上げ、そこでオリジナルのスピーカーシステムを作って売ったりしていました。その店は比較的最近まで存続していたそうです。そしてB&Wの日本における販売代理店ですが、当初はラックス(1970~)、その後が今井商事(1978~)、ナカミチ(1982〜)でした。そして1993年から現在に至るまで日本マランツ(ディーアンドエム ホールディングス)となります。2019年で26年目を迎えました。


↑B&Wが立ち上げた最初の電気製品ショップ


澤田:マランツとB&Wの関係ですが、それはまずヨーロッパで始まりました。マランツは1980年から2001年までフィリップスの子会社でした。フィリップスはご存じのとおり、オランダの大きな総合電機メーカーです。そのフィリップスが1990年頃、ヨーロッパで革新的な物流システムを導入しました。当時としては画期的で、バーコード管理を行い、小さなボタン電池から大きなシステムマシンまでの膨大な種類の製品を、3日以内にヨーロッパの各地に届けることができるというシステムでした。フィリップス傘下だったマランツは、製品の種類が多くなく大きさがだいたい揃っていたこともあり、テスト運用のころからその物流システムを使っていました。

●いわば物流システムの実験台だったのですね?

澤田:そうです。いきなりフィリップスの全製品で始めると混乱することは必至でしたから、まずマランツからやってみよう・・・というわけです。そしてそのシステムが1990年頃には軌道に乗っていました。すると他のメーカーからも「ぜひ参加させてほしい」という声が出てきました。特にヨーロッパを本拠とするスピーカーメーカーが多かったんです。

●なぜフィリップスの物流システムに他のスピーカーメーカーが参加したがったのですか。

澤田:スピーカーメーカーはいつも倉庫と物流に悩んでいました。スピーカーは大きくて重く、しかもペア管理しなければいけないという結構厄介な荷物なんです。ヨーロッパには小さなスピーカーメーカーがたくさんひしめいていましたが、自前では配送システムを持てませんから、それぞれ運送会社を使っていました。でもスピーカーに慣れていない運送会社を使うとトラブルが起きるという実情がありました。それでいくつかのスピーカーメーカーが手を上げB&Wもその一つだった、というわけです。

 

●B&Wがフィリップスの物流システムに参加したことでつながりができたわけですね。

澤田:そこでB&Wとの流通上の関係ができました。また、それだけではなく、マランツ・ヨーロッパからB&Wに移っていった人も少なからずおり、人的なコネクションもありました。マランツは、かつてスピーカーを作っていましたが、1980年代の終わりには自前のスピーカーはほとんどやめていました。

●ヨーロッパではマランツとB&Wの提携はどんな形をとったのでしょうか。

澤田:当時のB&Wはマランツより企業規模がずっと小さかったですから、ヨーロッパの各国に自前の販売組織を持っていたわけではありませんでした。そこでマランツが販売を請け負うという関係ができました。1980年代の後半、最初にマランツ・フランスがB&Wと販売契約を行い、その後マランツ・スイス、マランツ・ドイツと続き拡大していきました。このような関係が、ヨーロッパにおいて構築されました。それが1990年ごろのことです。

 

日本でもB&Wから提携を依頼されたが、最初はお断りした

 

●ヨーロッパで提携がはじまったことで、自然に日本でもB&Wとマランツが提携することになった、という流れですか。

澤田:いや、そう単純だったわけではありません。冒頭に言いましたように、B&Wが私たちと提携する前の代理店はナカミチさんだったわけですが、いろいろあってB&Wは次の提携先を探していたようです。そんな折に、B&Wの当時のチェアマン(オーナー)であるロバート・トゥルンツ氏が1992年に来日し、日本マランツに対して「B&Wの日本における代理店になってくれないか」と言いました。

●B&Wからマランツにお願いされたのですね。

澤田:はい。ところが、最初はお断りしたんです。ヨーロッパでは友好関係にありましたので、ただ断るのではなく、ご丁寧なことに別の輸入商社を紹介したりしました。

●ほんとですか! どうして断ってしまったのですか。

澤田:理由は二つありました。一つは当時、親会社のフィリップスがオーディオメーカーのB&O(Bang & Olufsen)を子会社化したことです。そのため日本マランツが否応なしにB&Oの販売も引き受けることになり、まさにそれがスタートするところでした。私たちとしては初めての輸入代理店業務だったこともあり、よく似た名前のB&Wをさらに引き受けるのは重荷であると感じたわけです。そしてもう一つの理由が、B&Wは当時Auraというブランドを所有していて、比較的ロープライスのCDプレーヤーやプリメインアンプなどのコンポーネントを扱っていたのですが、これがマランツと競合しました。その二つのことがあったのでお断りしたのです。

 

●その後どういった経緯でB&Wと提携することになるのでしょうか。

澤田:一年後、再びロバート・トゥルンツ氏が来日し、「いろいろと検討したが、やはり日本マランツに代理店になってほしい」と再度、要請してきました。その条件としてAuraは当面、新規の開発は取り止めるので、日本マランツがAuraを引き継ぐ必要はない・・・と。それなら、ということで、日本においてマランツがB&Wの輸入代理店業務を引き受けることになったのです。

●2度もお願いされて、やっと引き受けたのですね。

澤田:マランツ側にも状況の変化がありました。まずB&Oの販売がうまくまわり始めていたので、さほど心配しなくてもいいと感じていたこと、それともう一つは親会社フィリップスから「スピーカーブランドを傘下に加えたい」という意向があり、買収するスピーカーブランドの選定に関する打診が来ていました。そのスピーカーと組み合わせるのはマランツのエレクトロニクスなので、どのブランドが良いか意見を聞きたいということだったのです。

●それはB&Wではなかったのですか。

澤田:違います。B&Wはプライベートカンパニーですからオーナーが手放さない限り買収はできません。その買収候補のリストにあったスピーカーブランドはいずれも老舗でしたが、だいたいが、いわゆる「BBCモニター」と呼ばれる系列のものでした。

●BBCモニター、というのはどういうことですか。

澤田:BBCはもちろん英国放送協会のことですが、BBCの規格にあったモニター、つまり「放送規格モニタースピーカー」ということです。オーディオの黎明期、世の中には有象無象のオーディオメーカーがたくさんありましたから、放送局で使われるようなオーディオ機器は品質の保証となりました。日本でもBTS規格というのがありました。とはいえ、それは1970年代までの話です。「放送局規格」といっても、特にワイドレンジでも、ダイナミックレンジが広いわけでもなく、単に放送用モニターにすぎませんから。

●親会社のフィリップスからの打診を断ったと言うことですか。

澤田:当時、私は商品企画部でHi-Fiを担当していてサウンドマネージャーでもあったので、上層部から「こんな話しが来ているけど、どうかな?」と聞かれました。それぞれ有名なスピーカーブランドのリストを見せられましたが、正直なところ私はどれも嫌でした。「こんなスピーカーは古くさくてダメですよ。これならB&Wの方がいいんじゃないですか」と言いました。そうしたら「ああそうか」って(笑)。私はその時は背景がどれだけ重いのか理解していなかった。単に嫌なスピーカーを押し付けられたくなかったというだけで、本当のところは意見が通るとは思っていませんでした。

 

B&Wのレコーディングモニターは、
「原音再生」を追求するマランツとベストマッチだった

 

●マランツのサウンドとのマッチングでB&Wとの提携が進んだということですね。当時のB&Wはすでに今につながるクリアでワイドレンジな音色だったのでしょうか。

澤田:そうです。それでもまだ当時のB&Wはヨーロッパサウンドの範疇ではありました。その頃のB&Wを代表するスピーカーはレコーディングモニターの801ですから、BBCモニターなどの放送用モニターよりも、もっと守備範囲の広いものであったと思います。この頃は801も第4世代のMatrix 801S3で、レコーディングモニターの地位を確立していました。ただし、頭に枕詞がつくんです、「クラシックの」っていう。当時、ジャズやポピュラーの録音でB&Wを使っているレコーディングスタジオは、あまりありませんでした。

●B&Wはモニタースピーカーとして有名なロンドンのアビーロードスタジオに入っていると聞きました。

澤田:はい、その頃はもう入っていました。入っていたというより、使っていたと言った方がいいでしょうか。当時のレコーディングスタジオには壁に埋め込まれたラージモニターと、コンソールトップに置いたスモールモニターがあって、それでモニターしていました。しかしクラシックではそれらは、ほとんど使われませんでした。なぜならラージモニターではホールトーンが出せないのです。それでアビーロードスタジオでもクラシック用のモニターが必要な時にB&Wが使われていました。ゴロゴロとスタジオに運び込むんです。

●ホールトーンというのは、ホールで収録したオーケストラのサウンドの空間表現を指すのでしょうか。

澤田:そうです。単にコントラバスの低域からバイオリンの高域までちゃんとカバーしているか、というだけではなく、オーケストラの前後左右の奏者のポジション、あるいはホールで音が鳴っている空間性など、それらをまるごとモニターできなくてはいけません。B&Wの801はそれができました。アビーロードスタジオは当時、新旧合わせて50台くらいの801を持っていました。建物の中に大小のスタジオがいっぱいありますから。私が最初にアビーロードに行った時には、旧型の801が廊下にいっぱい並んでいて壮観でした。ちなみ801というモデル名は「80年代で一番のスピーカーを作ろう!」というプロジェクトから付けられた名前でした。B&Wの資料のどこにも載っていなくて、私もあとから知ったんですけどね。

●1993年から実際に提携がはじまったわけですが、B&Wとマランツとのマッチングはやはり良かったのでしょうか。

澤田:いま申し上げてきたような経緯があってマランツとB&Wは提携することになりましたが、原音再生がポリシーのマランツとレコーディングモニターのB&Wのマッチングは、とても良かったと思います。それに当時、世界的に見てもB&Wの直営の販売会社のない国において、B&Wのディストリビューターの過半数は、同時にマランツも扱っていました。ビジネス的にも相性がいいパートナーだったと言えるでしょう。

(後編に続く)


↑B&Wと提携して間もない頃のマランツの発表会。写っている人物は若き日の澤田。​​​​​​​​​​​​​

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2019年4月12日​​​​​​